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あきの公造フォト・ストーリー
あきの公造フォト・ストーリー(2)
厚生労働省へ
(7)2006年4月、あきのは厚生労働省に出向し「健康局疾病対策課」の課長補佐に就任しました。薬害エイズ訴訟*1和解成立から10年。薬害の患者さんたちを国の責任としてどう救うのかというのが彼の新たな仕事でした。
*1薬害エイズ訴訟(やくがいエイズそしょう)
1980年代に、主に血友病患者に対し、加熱などでウイルスを不活性化しなかった血液凝固因子製剤(非加熱製剤)を治療に使用したことにより、多数のHIV感染者およびエイズ患者を生み出した事件を、製薬会社と非加熱製剤を承認した厚生省に対して1989年5月に大阪で、10月に東京で損害賠償を求めた民事訴訟。
(8)あきのは、持ち前のバイタリティーで、薬害エイズ患者団体のオフィスを何度も何度も訪ねて回り、徹底して話を聞きました。その結果、患者団体から少しずつ、信頼を勝ち取り、これまで放置されてきた薬害エイズ患者のための研究班設置に尽力しました。 また、「エイズに自分がかかっているんじゃないかなと思う人達の気持ちは、エイズにかかっている患者さん方がもっとも理解をしており、そういった相談も受けられる」と提案し、薬害エイズ患者が運営するエイズ検査センターの設立にも尽力しました。
(9)世界エイズデーイベントを開催し、多くの芸能人、アーティストとともに、エイズ予防・検査推進のイベントの大成功に尽力。同性愛者との連携を進め、各種会合に参加するとともに、東京ゲイアンドレズビアンパレード(07年より東京プライドパレード)を厚生労働省後援とし、エイズについての正しい知識の啓発、検査推進に尽力しました。
(10)2007年、厚生労働省医系技官採用試験に合格し、2008年4月に厚生労働省医薬食品局血液対策課の課長補佐に就任。いつものように、現場に足を運び、皆と一緒に、汗を流しました。自らも、年間献血制限回数まで献血を行い、献血を呼び掛けて街頭に立つなどして献血を推進。この時、あきのの努力が大きく実を結び、全国の献血数が減少傾向から増加に転じました。
(11)あきのは、2002年の日本内分泌学会若手研究奨励賞の受賞以来、多くの栄誉を受けました。2008年11月には長崎大学の客員教授に就任。2009年4月には創傷治癒の分野において、ヨーロッパ、日本、アメリカの3大陸地域で表彰を受けるという快挙を成し遂げました。
【受賞歴】
第38回日本創傷治癒学会・研究奨励賞
(平成20年12月)
「神経アダプターShcタンパク質と間葉系幹細胞の創傷治癒と瘢痕形成への関与に関する研究」
【受賞歴】
アメリカ・日本創傷治癒学会ジョイント学会 第1回優秀演題(平成21年4月)
「神経分化におけるSHCタンパクの役割と間葉系幹細胞の創傷治癒への関与の研究」
(12)2009年5月、新型インフルエンザの発生に伴い、あきのは成田空港での検疫に参加、感染症の国内侵入、蔓延防止に取り組みました。

(13)8月には、東京空港検疫所支所長に就任。羽田空港における検疫業務の陣頭指揮および新・国際線ターミナルの開業準備に携わりました。それは連日徹夜に及び、あきの自身も感染するほどの、まさに命を賭けたハードな仕事でした。
